2015年5月16日土曜日

■idée/安倍も池田そっくり 念仏法然の「世界平和」と「不戦の誓い」に巻き込まれ

昭和59年1月26日の「聖教新聞」に掲
載さらた「世界不戦宣言」なるものが
本書1984年6月6日発行に収録。
ハフィントン・ポスト(The Huffington Post)の記事を読んで驚い。この安倍晋三首相の講演は、創価学会の池田大作氏の講演かと思われるほど、内容も考え方もよく似ているのである。それを一言で言えば、安倍も池田も二人とも「四海の静謐を収めんものか」ということで共通しているのである。これは創価学会の池田の方から話し始めたほうが何の事か理解しやすいかと思う。創価学会の生命線というのは「四海の静謐を収めんものか」という一文であって、要するに創価学会が「平和・文化団体」であることを宗教的立場から日蓮大聖人の「立正安国論」に理論ずけるのに必要な一文であるということです。しかしこの創価学会の利用した「立正安国論」での「四海の静謐」の主張とは、法然の立場からの主張であったのだ。
この(209頁から224頁)の記念提言で、池田は「世界不
戦宣言」を国連決議として成立させたい。と言っている。

ABE JAPAN
安全保障法制の関連11法案が閣議決定されたことを受けて、安倍首相が5月14日午後6時から、
官邸を会見を開いた。

それができなければ税金のかからない宗教法人としての創価学会の存在は否定されてしまうからである。ここには今や、創価学会は日蓮正宗の教義は持ってこれないわけで、独自な宗教教義を立てなければ成らなかったのである。

つまり日蓮大聖人には、「立正安国論」における平和論の箇所において念仏僧の法然の思想との対決があったのです。が、そこでの論議というのは、宗教は念仏・真言・禅・律など様々にあって、各宗が我も我も最高の教えだと主張しているが、一体それらの宗派の高低浅深はどうなっているのだろうかと言う疑問があった。

その中で、法然の考え方であるが、同時にまた、今の創価学会・公明党の取る「平和・文化路線」を作り出した池田大作による「立正安国論」の私的解釈の事でもあるのだが、つまり宗教の善悪・高低浅深を極めていたら、目前の差し迫った戦争の危険に我々の安全は風前の灯でしかない。先ずは国の安全や近隣の平和を実現する事の方が先決問題であると主張したのである。

それが「四海の静謐を収めんものか」と主張する法然の対場なのである。

この「立正安国論」での法然の側での主張である一文を立て破に利用して立てたのが池田創価学会の「平和・文化路線」という新法門であった。

安倍晋三首相の方は、これから推測がいくと思うが、実は安倍が最近に口にしている「不戦の誓い」という呪文は、これよりもずっと以前に創価学会の池田大作が頻繁に使用していたのである。

戦争が起こったならば、寺も会館も御本尊様も焼けてしまう。布教などできなくなる。だから世界平和が先ず必要なのだと始めに立てる。この誤れる平和論の考えを、「立正安国論」の中の法然の主張する客人の思想から引き出したのであった。

「立正安国論」というのは、主人の立場と客人の立場での問答形式で書かれていて、根本の所で平和と戦争に対する考えが両者は異なるのである。主人の方はこの原因を誤れる宗教にあるとしている。それを糾すことを第一に主張している。

しかし法然の立場の客人の思想は、池田が之をまねた如く、先ずは戦争を起こさないようにする世界平和運動論が先決問題なのである。だから池田は宗教の正邪は論じないで、世界中に不戦反戦平和を訴えて駆け回っているわけだ。このような宗教思想の正義を主張しないで悪を許し見逃している人が、実は戦争を起こす原因を撒き散らしていることになるのである。これは一見なかなか理解がいかないことだが、そいういうことなのだ。

最近は創価学会・公明党が安倍晋三首相に擦り寄って集団的自衛権を支持したことで、この池田大作の平和運動論がごまかしであったことが露見した。戦争を支持する「創価学会=公明党」になったのである。

法然のやり方で、つまり今の池田大作や安倍晋三の言う、「不戦の誓い」だが、これで戦争はなくなるのかということだが、残念ながら戦争に突き進むようになって、戦争を激化し日本は戦火の炎の中に苦しむ念仏無限地獄の世界があの世ではなくこの我々の地上の世界に繰り広げられることは間違いないのである。

法然先生=池田先生=安倍先生の共通することは「立正安国論」における念仏に毒された客人の立場での思想であるからだ。


安倍は、「世界の平和と安全を確かなものにするための平和安全法制」の閣議決定をしたのは池田と同じく、法然のいう「世界平和」を語ったのである。


じつは、池田の「不戦の誓い」というのは、世界平和の為には他国との「不戦の誓い」も必要であり、そのために池田は世界中を駆け巡って世界の有名人や要人にこれを説き訴えてきたのであるが、日蓮大聖人の正しい平和思想の仏法を訴えてキリスト教やイスラムやユダヤ教の誤りを糾すという折伏はしてこなかったのである。

誤った法然の思想で世界平和を訴えてきた為に、つまり「他国に遊説して破国・破法の因縁を説く」ことになったということだ。

池田が原発の平和利用なら許すとしたこともあってか、創価学会・公明党内部での反原発勢力も弱くなり、日本の福島原発が起こったのである。この誤れる法然の思想というのは戦争の原因となる人を殺害することを認める、つまり戸田城聖のように「原爆を使用する者は死刑にすべきだ」とする生命軽視の思想からきている。

その生命軽視の思想とは念仏思想が依拠する経典の力によっているからだ。法華経のような人間生命の十界互具や男女差別なくまた此土・穢土区別ない救済の法が顕されてないためなのである。

創価学会会長の戸田城聖などは広島・長崎に落とされた原爆の恐怖を二度と繰り返さないためにこのアトムである放射能の被害を食い止めるためにであったが、「この原爆を使ったものを死刑にする」と宣言していた。それが、池田創価学会はこの金口の戒めを破り、福島原発を平和利用の元ならば良いのだと許し、原発の奥に潜むアトムの魔性を受け入れてしまった。もっとも戸田城聖は原水爆宣言でこれを使用する者を悪魔(サタン)だとして死刑を宣言しているところに既に、人間生命への軽視の淵源があったともいえるのである。

その故に、自らもこの魔性の住む世界に沈降することになったのである。このような誤れる宗教思想を糾さずに許してしまうことが、自らも悪鬼に踊らされて自己の思想を曇らせてしまうことになる。安倍晋三首相の話す話しには、池田の受けた法然の阿呆を魔に受けた箇所も多く、理解しに阿呆の論議だというのはそのためだ。

これから起こる外国との戦争とは、安倍=公明党・創価学会の法然思想路線=「四海の静謐を収めんものか」によって準備がなされているともいえる。

「集団的自衛権」や「積極的自衛権」というのはこのことなのである。これは、日本の戦争にアメリカを巻き込む事なのであって、アメリカの戦争に日本が巻き込まれることなどでは全然ないのである。

安倍のいう、「あらゆる事態を想定し」とは、日本が他国を先制攻撃した場合をも、ここに含まれている。


法然=池田=安倍の共通する誤りの根源とは、「立正安国論」における念仏法然に毒された客人の世界平和論のことなのである。これは世界中の低い誤った宗教を自他共に偽って慈悲を現じてみせて許してしまうのである。宗教の高低浅深を決着することを避けて、世界平和の実現のほうが先決問題だといって誤魔化すことが、結局は戦火を、遥か万里の外より招き寄せてくることになるのである。今の「創価学会=公明党」に鼻先を摘まれて引きずりまわされている日本は非常に危険なのだ。

国の内乱である「自界叛逆難」(じかいほんぎゃくのなん)や、外国から攻められる「他国侵逼難」(たこくしんぴつのなん)という戦争が、日本の内外に起こってくるのはそのためである。


池田や安部は、魔性に踊らされてその手先になっている。彼れらの誤りを諌め糾さなければ、日本中がみんな苦しむことになるだろう。

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