2016年8月3日水曜日

独ナチス・ヒムラーの日記1000頁が発見 ビルド紙が連載

(パリ=飛田正夫) 人権侵害計画の首謀者で怪物であったナチス・ドイツのSS隊長ハインリッヒ・ヒムラーの日記が発見されて、独のビルド(Bild)紙に掲載が8月2日から始まったと報道されている。日記はロシアのモスクワから南部へ40キロほどに位置するポドリスク( Podolsk)の資料の中から発見されたもの。ビルド紙は写真の多い大衆紙でこの中ほどのページを使ってヒムラーの日記は紹介されている。ヒムラーはナチス警察親衛隊SSを指揮し強制収容所での大量殺害を実現するショウワ(Shoah)の責任者であった。ヒムラーは歯の中に隠していた青酸カリで、裁判で裁かれずに、1945年の逮捕直後に服毒自殺をはかって死亡した。資料は一種の日記の体裁をとっていて、日付や会議や軍事的な決定内容や、ナチの死のキャンプでの恐ろしい状況などが記載されているという。ビルド紙は1000頁ほどある資料の要約を掲載しながら、ナチ体制によってもたらされた殺人産業化に光を照らすとしている。仏メディアも報道している。

1941年8月の日付けでは、ヒムラーはビエルシーにあるミンスク近くのユダヤ人全滅作戦の現場に居て、脳みそがマントーの上に散らかっていたと、気絶すべきことが書かれているという。

1943年にはヒムラーは、彼の日記にサビボー(Sobibor)強制収容所で使用されたディーゼルエンジンから出る排気ガスのガス室では400人が殺害できると現場に立ち会った様子を書いている。その効果についてその方法を讃嘆し、その夜にこれを讃える晩さん会を行ったと書いている。別の時には、アウシュビッツ収容ではヒムラーはナチスの犬について、主人以外の誰でもをばらばらに食いちぎる事ができると書いている。第二次世界大戦では6千万人が死亡し、600万人が強制収容所で死亡した。ヒムラーは1943年10月4日17時30分の各部隊長会議で話し、ユダヤ人全滅は我々の計画の中の一部であると話したと書かれているという。

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