2016年8月12日金曜日

慈愛の一分を持つ貧女 産後間もない一子と共に大河を渡る話し

愛と慈悲のついて触れたのですが、つまり教えに随他意があり随自意があるわけです。前者は母の愛ですが、後者は父親の慈です。この両方が必要だということなのですが、厳父の慈悲を欠いた盲目の悲愛というのは非常に多いわけです。これを悲母の愛ともいうわけで、仏教では慈と分けているのです。悲しんでいる人に同苦はするのですが、悲愛ではその人を救う事は出来ないのです。そうすると女性の愛は悲母の愛でしかないということなのですが、仏典では一子を抱いて黄河を渡る貧女の話しがあるのです。そこでこの貧女は生まれたばかりの幼児を抱いて、国を追われて捨てて国境の大河を渡る決意をするのです。丁度昨年来の話ですが、地中海を渡る難民のようなのです。貧女はこの子を話さずに河の流れの早い中ほどで力尽きて二人とも溺れてしまうのです。
母親の愛は天空を貫く山よりも高く大きいのですが、現代の難民の場合でも、アイリン君の例もあるように両親は助かって子は溺死して浜辺にうちあがっているのです。それが悲しくてこの写真は全世界を廻りました。そういう親の愛は多いのです。この貧女はこの子供を捨てなかった為に溺れて死んだのですが、その慈愛によって子と共に梵天に生ずることができたのです。


私の理解では、この貧女が大河を渡る話は「涅槃経」にあるものですが、貧女とは家も無く夫もなく餓えに苦しみながら、諸国を渡り歩き乞食をして暮らしていた女性です。そして虻蜂などの毒虫に血を吸われ、ある宿で一人の子供を宿すのですが、この宿を駆逐されて、一子と共に大きな大河の前までくる。彼女は産してまだ間もない一子を抱いて河を渡り他国へ行こうと決めるのです。貧女はなにも穢れた命に浄化とか成仏を求めていたわけでは特になかったのです。只この一子を何が有ろうと起ころうと捨てなかったという慈愛の一分によって、仏界に自然(じねん)として生まれたという話しなのです。