2016年9月22日木曜日

サルコジがカレ港を視察 英国境線の移動がカレ難民ジャングルの責任

(パリ=飛田正夫 日本時間;‎‎‎22/‎09/‎2016-11:46:00)サルコジ前大統領は21日にフランス北部のカレの港を訪れてそこの港湾施設を視察した。しかしサルコジは今年末までには完全解体が予定されているカレ難民のジャングル・キャンプの中は訪問しなかった。それでは何故、サルコジがカレ港に出向いていったのかを解説している新聞は少ない。13年前、サルコジは2003年に内務大臣時代に英国との間でカレ難民問題で、サルコジ自身が決めた仏領土内の英仏共同管理の国境を、これからは英国に再交渉して規定し直すべきだと話した。このサルコジが12年前に調印したのが「トッケ合意」(Les accords du Touquet)で、この条約によりカレ側にも英仏共同の国境管理事務所が設立された。英国へ違法難民が辿り着く前にフランス側でのコントロール強化を宣言した合意だったのだ。
それが次第に英国国境がフランス国内のカレに移動したようなことになってきたわけである。最近になって、英国側がカレの町の港に続くトラック道路の両側に高さ1メートルの鉄筋コンクリート造りの壁を1キロ建設し始めたのはそういうことが許される合意をサルコジが昔し英国との間できめていたからである。

サルコジが国境にまつわる共同合意など英国として無ければ、フランスのカレに難民のジャングル問題を抱えなくても済んだかもしれないのだ。その自分の犯した合意の誤りがもうすぐ解体されるカレのジャングル前に、どうなっているのかを心配で、サルコジの今回の港の視察となったのだろう。

社会党(PS)の援助で地方選挙の最終戦で当選できた元労働大臣で現北部地方議員のグザビエ・ベルトラン「共和党」(LC)は、2003年の「トッケ合意」を、英国がその半分の責任を果たせないのならば、合意を再規定するべきだと2015年の8月初旬に「日曜新聞」(JDD)で述べていた。

難民問題は、カレでドーバー海峡を渡ろうとする難民たちがブロックされてしまったことから起こった。どうしてブロックされたかだが、これは英国が、シュンゲン協定に加入して無くて、欧州共同体からのビザなしの者の入国を制限することを欲していたためだ。それで、この2003年の北の海岸町「トッケ合意」では、ドーバー海峡を渡る違法難民の監視で、カレを中心とした英仏両国のそれぞれの沿岸の主要港に、英仏共同の難民監視統制事務所というものを置きこの共同国境を両国で共同管理するということを決めた。

ところが英国は次第にこの「合意」を遵守しなくなっていった。英国側が半分の義務を行えないというのならば、この合意を再規定すべきだというのがグザビエ・ベルトランの意見だった。

英国側の港はドーバーで、仏国側の港はカレ、ダンケルク、ブローニュ・シュル・メールであった。次第にフランス政府の不法難民統制がドーバー海底トンネルまで包含・拡大化してゆき、地理的には英国の国境がドーバーの町にあるのが、フランス側のカレ市に移されたという批判が出るようになっていた。

この合意の実行が英国の難民政策では不徹底で、英国はシュンゲン協定外にありながらも警察や司法での協力に参加していたし、麻薬や危険物や犯罪人の情報開示に協力していた。しかし英国は、英仏両国間の財や人の自由な流れや、国境監視の行政と連携では、努力する気配が無かったと言われている。

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