2016年10月30日日曜日

オランド仏大統領 仏最大のジプシー強制収容所訪問 初の国家責任承認

(パリ=飛田正夫 日本時間;‎30/‎10/‎2016‎‎-00:50:43)29日朝、オランド仏大統領はフランス中部を東から西に流れるロワール流域中部のアンジェやソミュールのあるメーヌ・エ・ロワール県にわずかな遺跡の残るフランス最大のジプシー強制収容所で6000人から6500人ほどが収容されていたモントルーユ・ベリー(Montreuil-Bellay)を訪問した。ここにはナント地方の住所不確定者(SDF)も収容されていて、1941年11月から1945年1月にかけて百人ほどが死んでいると、エクスプレス(LEXPRESS.fr)紙は報道している。第二次世界大戦中のフランスの犯した人権違反の犯罪を認め、国家の責任を政府責任者として初めて認め謝罪した。これはフランスの第一次世界大戦の悲惨を追悼する70周年記念行事の一環として行われたものだ。オランド大統領は、ジプシー(チガン)の遺族たちはこの日をどんなにか待ち望んでいた事か、真実を話す時が来たと宣言した。


チガン仏全国連盟会長ユージェンヌ・アラン・ドウマ氏は、この忘れられた追悼が日の目を浴びたのは数十年に渡る苦難の運動の結果であったと、新たに建てられた記念の墓碑を前に話し、オランド大統領の勇気を讃え感謝を述べている。オランド大統領の政治はなかなか理解されない所があるが、市民権の平等性を大統領就任以来訴えているところが、サルコジ前大統領と正反対なのである。

フランスではユダヤ人が全国からパリ近郊の現在はサンドニのフランス競技場近くのドランシー収容所などに送られて、そこからドイツの強制収容所へ送られている。このような強制収容所はフランス国内に仏政府管轄で31カ所ほどがあったが、モントルーユ・ベリーでは冬は寒く夏は暑い不衛生な宿舎に食料もなく、1940年のドイツの傀儡政権ビッシー体制時代から解放される1946年まで悲惨な境遇に押し込められていたが、ドイツの絶滅収容所へ移送された者はこのモントルーユ・ベリーからは無かったとの証言を、保守派の新聞フィガロ紙「LE FIGARO」では掲載している。

しかし、オランド大統領は他の地方にあった強制収容所からはドイツのアウシュビッツ収容所へ送られていると明言したとフィガロ紙も書いている。

オランド大統領はその理由を話している。彼等がドイツのスパイだからだといわれるが、オランド大統領によると強制収容所に集められたのは、ジプシー(チガン、マヌーシュ、ロマ人、ノマードなどと地方によって呼称が変わる)などの「旅団の人々」(gens du voyage)だったからだと話している。フランス人の心に蔓延し続けている外国移民嫌いや難民や異民族への不信感や人種の差別意識を指摘した。彼等ジプシーはドゴールのパリ解放の2年後になってしか自由を得ることが無かったのである。

オランド大統領は政治責任者としてフランス政府が強制収容所という忌まわしい事実を行っていたその戦争責任を戦後の大統領として初めて承認した。オランド仏大統領は早急に、「旅団の人々」をフランス人として承認し市民権を与えることを議会で決めると話した。1969年に制定された「旅団の人々」(gens du voyage)への交通手帳の廃止も議会に提出すると社会党(PS)のドミニック・ランブーグ(Dominique Raimbourg)議員は話した。
【参考記事】
http://www.lexpress.fr/actualite/politique/tsiganes-internes-par-vichy-premiere-visite-presidentielle-a-montreuil-bellay_1845639.html
http://www.20minutes.fr/nantes/1950835-20161029-hollande-montreuil-bellay-rendre-hommage-tsiganes-internes-regime-vichy
http://www.lefigaro.fr/actualite-france/2016/10/28/01016-20161028ARTFIG00163-hollande-va-rendre-hommage-aux-tsiganes-internes-pendant-la-seconde-guerre-mondiale.php