2016年11月22日火曜日

「創価学会・公明党」=「自民党」の関係で一言

「世界」に投稿されていたものが縁となって岩波から『創価学会・公明党の研究――自公連立政権の内在論理』中野潤著が 出版されたみたいですね。ジャーナリストだという事らしいです。確かに創価学会・公明党のことは言いつくされている観もします。「創価学会・公明党」=「自民党」というのも論理内在的な繋がりがあるのです。それは政治権力と宗教論理という関係で、多くの人がというよりも創価学会の池田大作が誤って日蓮大聖人の「立正安国論」の中で展開された客人の思想(念仏法然)を読み取り違えて、日蓮大聖人の思想なのだと、つまり天下泰平・世界平和の方策を執るのが日蓮大聖人の「立正安国論」での主張であったのだと書いてしまったのです。


それが「立正安国論講義」という池田大作が書いた初版本にあるわけです。そこに日蓮大聖人の仏法を拝みながら日蓮大聖人の仏法でなくなってしまった一番の原因があるわけです。創価学会は池田大作が初めて日蓮正宗や日蓮大聖人の仏法に違背したのではなくて、戸田城聖の著作にも教義の誤魔化しがあるのです。


安倍の祖父・岸信介が首相として戸田に招待してあって日蓮正宗の大石寺に来る予定だった。しかし藪用が急にで来たらしく本人は来ないでその娘を代理としてよこしたので戸田の失望は大変なものだった。それであの有名な池田の師の敵(かたき)を撃て、とか追求せよ、追撃の手を緩めるなという話しになるわけです。

どうしてかというとこの誤った戸田・池田の思想で日本国が「政教一致」「王仏冥合」した時の儀式の次第をどうするかを、戸田の死が近かった為にその予行演習、模擬試験をして見せたのです。正教一致ですから国の首相が来る必要があるわけです。それで岸首相を招待したのです。ですから創価学会には権力で戸田を裏切った岸の仇を討つことがあるのだという事です。ですから今の安倍はその遺族でもあって、簡単には表面的な「創価学会・公明党」=「自民党」論とは繋がらない筈なのです。創価学会には安倍を倒して天下を池田大作が目の黒い内にする至上命令があるのだろうと言いう事です。

そのような事は後の戸田城聖全集の中などでは池田の「立正安国論講義」と同じ様に書き替えたり削ってあったりして、よくわからなくしてあるはずです。

私はこの中野潤さんがジャーナリストであるのであれば、新たな資料を発掘して書かれているのだろうと思いますが、それはともかくも、今こそ池田大作が生きている内に会ってこれを糾して書くべきだろうと思います。会って書いてあればよいのですが、それを書かないと駄目だろうと思います。