2016年12月15日木曜日

アレッポ150万人の悲劇は 最後の5万人まで難民化を許す貧困なる民主主義思想の敗北

(パリ=飛田正夫 日本時間;‎‎‎15/‎12/‎2016-12:10:02)シリアの独裁者アサド大統領が2011年にアレッポの町で起こった学生の民主化運動を嫌いこれと戦い弾圧したことがついに40万近いシリア国民を殺害してしまった。国外に戦火を逃れたシリア市民の難民化した数は200万人をこえている。人口150万以上の町が5万人しか残っていないという状態というのは第二次世界大戦以来世界中にないことで、人権違反の大惨事であるとFRANCE24.comではシリア人民を援助してきた「フランス医療援助と救済連合組織」(uossm-france)の代表者の報告を14日に伝えている。13日にはシリアのアサド大統領政府軍はアレッポに残る市民に救済を呼びかけて、シリア政府軍が大勢の市民を迎え入れている様子をビデオで流したが、これはアサド側の演出であったと報道されている。アサド軍が今も爆撃を続けているビデオが報道されている。この3日間で7つの病院が爆撃を受けたという。停戦などしてないのだという市民の証言を伝えている。この市民を殺害しても良いとする民主主義の貧困な思想を国連も許してしまった。科学兵器をアサドが使用したことをフランスを初めとして欧州共同体(EU)も指摘はしたが、世界はこれを鵜呑みにしてしまった。人が殺されてもロシアや中国は国連で拒否権を使ってシリアのアサドを支援し続けた。オバマ米大統領も強い姿勢でこの人殺しの狂気に対して勇気をもって反対の意見を述べなくなってしまった。欧州のメルケル独首相やオランド仏大統領、ジャン・マルク・アイロー仏首相、元仏外務大臣ロラン・ファビウスも何度もこのシリアのアサドの行き過ぎた殺害を批判し、これを支援するロシアを厳しく批判してきている。しかし40万人という人がシリアでこの5年間で殺害されて死亡したことは、国際政治は市民殺害を傍観しても良い、人を殺害しても良いという誤った思想が許されたということだ。現代の民主主義の力のなさが露わになったのである。戦争に対抗し殺害に勝てる人民救済の思想がないということだ。これが最大の悲劇であると思う。


親子二代のシリアの独裁者アサド(Bachar el-Assad)を、民主主義の国フランスに2008年7月14日のパリ祭時にサルコジが招待してフランスの軍隊行進を謁兵させている。2011年のアレッポの市民弾圧事件はアサドがチュニジアで2010年12月17日モハメッド・ブウアジジ(Mohamed Bouazizi)氏の焼身自殺による独裁者チュニジアのベンナリ大統領が国外逃亡を謀り北アフリカや中東へと民主化運動が飛び火することを怖れたからで、その頃にアサドは国連の拒否権を持つフランスのサルコジを大統領官邸エリゼ宮殿に秘かに訪ねている。14日夜のエフェル塔は証明を消してこのシリアとアレッポ市民の悲劇を悼んでいる。