2016年12月21日水曜日

ジャーナリストの死の恐れを超えて ルポルタージュ・サン・フロンチェー(RSF)の指摘

(パリ=飛田正夫 日本時間;‎21/‎12/‎2016‎‎-‎00:34:46)20日にルポルタージュ・サン・フロンチェー(RSF)が発表したジャーナリストの2016年度の死亡数は2015年度よりも、67人に比べ57人と減少しているのは、新聞社メディアが、つまり大手のジャーナリズムが記者を現地に生命の危険を心配して送らなくなってきているからだというのだ。これは世界が暗黒の世界に次第に支配されていることを意味していることにもなる。


仕事柄とはいえこの10年で780人のジャーナリストが殺害されているというのは恐ろしいことで、やはり世界は民主主義を否定する勢力が強くなっている状況下で、その不正や悪を暴くジャーナリストを嫌い殺害に及ぶわけだ。またこのことは真理を求めて闘うジャーナリストの存在とともに、真実を隠し危険を避けて何も見ない言わない式の反動的ジャーナリストの存在を拡大させることにもなったと思う。彼等は風刺週刊紙チャルリー・ヘブドジャーナリスト殺害事件の時も、言いすぎるからやられるので、言わなければ殺されることはなかったのだと、ある高名な漫画家などは発言していたようだ。

昨日、ロシアが反対していたシリアのアレッポへの国連の監視官導入がやっとのことでロシアの拒否権が取り除かれて受け入れられた。このことで200万都市アレッポの市民が既に4万人しか残ってない現在、飢えと寒さの中の悲惨な状況下で、そのなかに15000程いると国連は見ているアサド独裁に反対するシリア反体制派蜂起自由軍とアレッポ市民との行方が心配されていたわけだ。国連人権監視官と共にジャーナリストが入って行けるようになることが遅かったように思える。すでにシリアでは40万人がシリアの独裁者アサドの為に死亡していることは取り返しがつかない。なぜこれを見過ごしてきたのか、そこに民主主義を支えるジャーナリストの存在を腐らせる見解があったからだと考える。