2017年2月22日水曜日

創価の本尊が 弘安二年の大御本尊に限らないのは戸田城聖の「分身散体の方程式」による

(パリ=飛田正夫 日本時間;‎‎-)「分身散体の方程式」という創価学会独自の理論の出ているのは、「戸田城聖先生 講演集 下」(昭和36年10月12日初版 創価学会発行)の112頁です。これによると弘安二年の十月十二日の大御本尊様から出発したものであれば、弘安二年十月十二日の大御本尊に限らず、それ以外の御本尊でも法脈は切れてないと立てることが可能だという戸田の言動だったということです。この戸田城聖の「分身散体の方程式」というのは、昭和30年8月24日に北海道地方折伏講演会 札幌市商工会議所での講演でなされているのです。

創価学会の第二代会長の戸田城聖が妙悟空のペンネームで書いた「人間革命」(昭和32年7月3日初版 精文館発行)の31頁~32頁にかけて、「一閻浮提総与の御本尊です。」となっているわけで、「大御本尊」とはなっていないのです。「大」の一字
はここには消えていて無いのです。これが戸田城聖の「人間革命」に弘安二年の十月十二日の大御本尊様を戸田は絶対的に信じていたのだという人がいるとしたら、その人は、この「大」の一字を後で付け加え、添加した版を見て言っているのでしょう。

私は戸田城聖の思想が既に誤った法華経解釈をやっていたことから、今日の創価学会が本尊に迷ったのは戸田城聖が本尊に迷っていたからで、日蓮大聖人の教義に違背していたからだと見ています。