2017年4月17日月曜日

民主主義実現の為にトルコの論議封じ込めに反対 仏大統領選挙にはデバ(論争)は必要 

(パリ=飛田正夫 日本時間;‎‎‎17/‎04/‎2017-22:09:26)大切なことがたくさん書かれているコメントを私のフェースブックで受け取りました。それで今回のトルコの大統領権力強大化の是非を決める国民投票のこともふくめ少し心が重かったのです。昔、トルコ人の知り合いがいて、国民の100%近くがイスラム教徒でイスラム政権が近代史のなかで初めて樹立されたころに教育を受けた青年です。誰が何を発現しても私はかまわないと思っているのですがこの青年は相手の言葉を遮ることをするのでした。論議の封じ込めをする為にそれが非常に嫌な感じに思えた理由だったのです。今は国の不幸と彼等の因果を思うとなんとなく納得がいくように思えるのです。やはりどんな思想を持つ国民がいるのかということが、フランスでも米国でも日本でも何処の国でもその国の運命を決めてしまうのでしょう。
フランスには大きな誤りがあってそれがフランス国民の思考を濁らせ不透明にさせています。それは共和国の政教分離(ライシテ)の精神のことです。これは大きな誤った使い方がされていると思います。


思想や意見の異なる人々が、それを捨てないでまた相手の思想なりを批判せずにみんなが仲良く一つの世界でいきるための方法だとして採用されているわけです。しかしこれを盾にして極右翼も極左翼もファシズムも独裁も批判の鉾を逃れ民主主義と平等にして存在できるというのが現在のフランスの誤ったライシテの利用法なのです。本当は思想や理念は各自個人がしっかりと持つべきものであっても、それは公的な場で論議しデバ(論争)を常にしてその思想の良し悪しを絶えず糾明していくべきなのです。

ところが今回、フランス国営放送テレビA2で開催されるデバは中止されやらないことになったのです。それに代えて1人15分当たり11人の候補がジャーナリストのインタビューを受けるという方式になったのです。サルコジに任命された局長のいる国営テレビ局というのはトルコのエルドガンの世界と同じなのです。民主主義の最後の砦であると思えるデバを廃止したのです。前回のデバが民法テレビ(BFMTV)の有名アナウンサーのルース・エルクリエフさんとフェラリーさんとの素晴らしい司会で視聴者数も最大級で大成功したと報道があったほどです。ですから発言者の多さや時間の長さではないのです。

問題はそこでのデバ(論争)が激しくなって左派側から右派フィヨンへとその妻ペネロップとの「起訴」事件で具体的な批判がかなりでたためのようです。これが他国では絶対に見られないフランス一流のデバ(論争)なのです。A2の判断は民主主義の方向を誤らせることになったと思います。今回、A2がフランス人の好きな真実を求め論議(デバ)を国営放送でできないならば、民放でやったらいいのだと思うのです。デバ(論争)が無くなった時にファシズム独裁が台頭することになる。ファシズムと闘い、民主主義実現のためにはキリスト教徒もイスラム教徒も庇護されているデバの土俵外に安穏としていてはならないのです。